失踪4日目 10月16日 日曜日 猫の探偵

Mさんに紹介していただいた、猫探しの探偵にお願いしました。

 

夕方7時くらいに来て、行方不明になった近辺を見てもらいました。あいにく、高輪三丁目の裏道で、「うなジュージュー祭り」というのが開催されていて、人がたくさんいたので、オッポは近くに居ても出てこられないだろう、と思いました。

 

とにかく、私の「オッポ、オッポちゃん」と呼びかける声を録音して、ずっとその声を流しながら、隅々まで、探し回ってくれました。夜は懐中電灯の光に猫の目が反応して光る、と、路地奥まで照らしながら。

 

私は、全行程同行できず(リウマチで足も、手も不自由で)、Mさんが探偵に付き添ってくれました。自分の体が動けないと、本当に悔しいです。

 

餌場を作って遠隔カメラで朝まで録画したけれど、写っていたのは他の猫だったそうです。でも、明け方まで探し回ってくれたそうです。

 

今回は見つからなかったけれど、そこまでしてくださり、感謝しています。

 

探偵のアドバイスで簡潔なチラシも作ることになりました。個人で探すのには限界がありますので、チラシによる情報提供が一番大切だそうです。とても納得です。

失踪3日目 10月15日 土曜日

この日は以前から姉と会うことになっていました。キャンセルして家の周りを探し回りたい気分でした。ですが、ただ歩き回っても、他の猫すら見かけない状況で、とにかくこのままでは、心理的に落ち込みすぎてしまう、と出かけました。

 

料理する気分になれず、冷凍庫のあまりものばかり食べていましたので、姉との食事は気分転換になりました。自分だけ、食べて、寝て、家の中でくつろいで、それに引き換えオッポは・・・といつも後ろめたい気がして、なんだか、消えてしまいたい気分になるのです。

 

こんなときこそ、前向きに立ち向かうべきなのに、いやになるほど自分の後ろ向きな人生観が露呈してしまいます。私が居なくなっら、オッポの帰るうちもなくなる、もう再会して嬉し涙に暮れるまで、涙は封印。(なかなか、実行はできていませんけれど・・・)

 

迷子猫を探すサイトを調べまくって、夕暮れ時に探すと見つかる可能性が高い、というので、毎日その頃に探しに行くことにしました。

 

とても参考になったのが、「猫はブログを書かない」というホームページでした。きっと探し出す、という勇気ももらえました。私も、頑張る。

失踪2日目 10月14日 金曜日

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Mさんが、前の晩に大急ぎで「白猫を探しています!」のチラシを作成して、家のポストに入れておいてくれました。

 

恐ろしいほどの迅速な行動力です。

 

そのチラシを持って出かけ、郵便局、コンビニ、お米屋、パン屋、動物病院、工事中の塀などに貼ってもらいました。

 

Mさんは、電柱などにもチラシを貼ってくれてありました。本当に、ありがたいです。それでも、外でチラシのオッポに会うと、また悲しくなって。

 

午後、1時間くらい名前を呼んで、探しました。何の気配もありません。

外に出て探さないと、見つかる可能性もない、と家に居ても気持ちが落ち着かなくて。リウマチの足が痛むので、歩くのにも限界があり、がっかりして帰りました。

 

最悪の場合に備え、動物の遺体が収容される、高輪土木課と港清掃事務所にも連絡をしました。どんな形でも、絶対に家に帰ってもらうためです。最悪、念のため、と思っていても、説明していて、泣けてきました。

 

絶対に見つけるから、泣くのは嬉し泣きのとき、と言い聞かせていても、涙が出てきてしまいます。

 

夜の半分くらい、またチャーリーが大きな声で鳴きまくりです。オッポを探している。どこにやったのか、と責められているようで、とても辛い夜でした。睡眠不足、食べても胃がもたれます。

 

外に居るオッポに申し訳なくて。

失踪1日目 続き

途方にくれているところに、30年来の友達、Nちゃんから電話がありました。「猫が逃げて、もう会えない」と嘆いたところ、「猫は生きているんだから、泣いている必要はない」と言われ、元気が出てきました。

 

生きてさえいれば、きっとまた会える。

食欲がないのに、空腹を感じ、ありあわせを少し口にして、夕飯にしました。

 

オッポは朝食べたきり、飲み水もないのだ、眠るベッドもない、と考えれば、胸が苦しくなってきます。

 

布団に入っても眠れずにいたところ、チャーリー(こちらは2年弱前に、地域猫から家の猫になった推定4歳の雄猫)が火のついたように鳴きだしました。明らかにオッポを探しています。

 

オッポはよく私のベッドの足元で寝ていたので、私の頭の横のベッドサイドに手をかけて、覗き込んでは鳴くんです。結局、3時半まで鳴き通しして、少しウトウトしたら、また明け方5時から、大声で鳴いて。

 

ボーっとしたまま、捜索2日めが始まりました。

 

 

失踪1日目 10月13日

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あと数歩で動物病院、というところでキャリーのふたが開いてしまい、オッポは桜田通りを疾走して渡りきりました。午前10時半くらいのことです。

 

6年前に捕獲機で捕まえてもらった地域猫です。捕獲までに餌やりが50日に渡り、やっとうちの子になった猫です。

 

2011年7月21日に、避妊手術をして、それ以来病院へ連れて行くのが初めてでした。

私はリウマチがかなりひどく、手、足が不自由でオッポを抱っこしたり、キャリーケースに入れることができなかったからです。幸いオッポは大病しない猫でした。

 

今回、猫に慣れたご近所のMさんが、手伝ってくださり、やっと通院になったのです。

 

それでも、キャリーに入るのを嫌がるオッポの背中を私が押さえつけ、Mさんが洗濯ネットで包み、何とかキャリーに押し込みました。病院へ連れて行くのではなかった、とか、後悔は押し寄せますが、口の中を痛そうにしているのを見るのは辛くて。

 

白い蝶のようにひらひらと桜田通りを走っていく姿に、一瞬、もうだめだ、と思いました。もう私の元から離れてしまった。本当に、足元から地面が崩れるようで、涙があふれてきました。

 

Mさんも、桜田通りを渡り追いかけてくれました。通りかかった男性が分離帯の木の植え込みに姿が見えた、と確認に行ってくださいました。でも、もうどこにもいません。

 

Mさんと逃げ込んだあたりを探しましたが、結局見つからず、いったん家に戻りました。

 

それから、私は何をしていたのでしょう?そんな状況でも、お腹はすいて、家にあるものを食べましたが、ズシーンと胃が重くなって、もたれて。どんより曇った一日で。

 

迷子猫・保護猫掲示板と迷い猫NETに登録しました。

本当に途方にくれて泣きました。